館長コラム「遊びを育てるおもちゃの力」
東京おもちゃ美術館 館長
多田千尋 (執筆日2014年8月)
都会の廃校におもちゃ美術館
「平成19年の3月、神宮外苑の杜近く、100年の伝統を持つ四谷第四小学校がその役割を終えます。戦災を免れた貴重な建築遺産でもある校舎が来春に向け『東京おもちゃ美術館』に生まれ変わろうとしています」
これは、私が館長を務める東京おもちゃ美術館が、23年間続けた中野から四谷に移転して、新しいおもちゃのミュージアムを開設する為の設立基金募集のパンフレットの前文である。
昭和から平成に入り、100名を下回る年も続き、行政側からの統廃合問題も幾度となく浮上することが多くなってくる。地元住民にとっては、小学校が閉校になることは我慢できても、この歴史的建造物である校舎だけは守り抜きたいといった思いは強く、そのような熱い思いから、おもちゃ美術館の誘致となった。
音楽室に木工玩具をふんだんに集め、「おもちゃの森林浴」を味わえる楽しさと癒しの空間を創り上げた。いわゆる「木育」推進の要となる空間だ。家庭科室は手作りおもちゃ工房をおき、江戸時代のからくりおもちゃから牛乳パックのリサイクル手作りおもちゃが楽しめる。最上階の一般教室2部屋を使ったおもちゃの街は大小さまざまな小屋が建ち、一種独特な玩具の屋台村のような雰囲気がする空間だ。
全面リニューアルしてからは7年目を迎える東京おもちゃ美術館について少々述べさせて頂いたが、おもちゃに対してどのようなビジョンを発信しているのかをいくつか記していく。
病児にとっても遊びは大切
入院している子どもには、健康な家庭生活を送っている子ども以上に遊びが必要である。遊びが保障されていないということは、食事を抜くことにも等しい。幼稚園や学校と違い、一定の時間をそこで過ごせば良いわけでなく、24時間の生活が毎日続くからである。しかし、子どもたちにとって病棟という環境ほど遊びに適さない空間はない。
かつて、小児病棟の看護師は、「多くの病児は健康を取り戻して担任するが、一人遊びの達人になっていく」と言っていたことがあった。
院内保育士がいない病院も決して少なくなく、チャイルドライフスペシャリストの導入もまだまだ遅れている。さらには、多職種の関係者の努力で、子ども療養支援士の養成も進められているが、その普及にはより一層の努力が求められている。当然ながら子どもたちに対して看護師の数は十分ではない。目の回るような忙しさに毎日を追われ、一人一人の子どもたちの遊び相手になることが難しく、病児の遊び環境は、まさに人的環境のか細さが現れている状態だ。
大阪府立看護短期大学発達研究グル-プが訳したBarbara F.Wellerの名著『病める子どもの遊びと看護』によると、小児病棟における遊びの意義には「PLAY」の原則がある。「PLAY」とは、Participation (参加)、Lessens (緩和)、Allows(可能にする)、Yields(産む)のそれぞれの頭文字をとったものだ。「参加」は、遊びに参加することは不慣れな環境の中で精神の安定をもたらす。「緩和」は、痛みや不安からくる衝撃を緩和する。「可能にする」は、子どもが興奮や恐怖に対し、努力して乗り越えることを可能にし、その結果、入院が良い体験になる。「産む」は、回復を早め、入院期間が短くなるという結果を生む。
また、東京おもちゃ美術館の理事でもあり、小児神経医師の二瓶建次氏によると、入院児の4つの不足として、「楽しみ」「体験」「コミュニケーション」「学習」を挙げている。そして、この4つが欠落していくことは、貴重な幼少期には大きな打撃となることを憂慮し、病院での遊び環境の改善やゆとりある人材の確保を訴えている。
遊びの天才に失礼のないおもちゃ
私が館長を務めている東京おもちゃ美術館では、おもちゃを様々な視点から考えている。第一にコミュニケーションを豊かにしてくれるおもちゃを尊重する。そのおもちゃで遊ぶと黙っていることが苦痛となるようなものだ。バランスの不安定さを楽しんだり、絵合わせ遊びを楽しむボードゲームやカードゲームは幼児向きのものがたくさんあるが、こうしたおもちゃは会話を促す。こうしたファミリーゲームは家族の宝になることは間違いない。また、おもちゃをコミュニケーショントイに進化させる遊びの工夫も必要だ。幼児が手に持って遊ぶ気の車もお母さんの背中やおじいちゃんのお腹で遊ぶと豊かな会話が生まれる。一見、一人遊びの代表格に見られるジグソーパズルも家族全員でやってもらいたい。一人で黙々と作業に徹するのではなく、家族で遊ぶと世間話に花が咲く。
第二にインテリアトイを推奨している。日本で市販されている多くのおもちゃの中には、遊び終わったら片付けたくなるようなおもちゃが少なくない。要するに住空間の中で、視線から消したくなるようなおもちゃだ。できれば、遊び終わったら、出窓やピアノ、下駄箱の上に、飾っておきたくなるようなおもちゃをお勧めしたい。おもちゃのデザイン性も問われてくるが、自らの住まいのセンスに合わせたおもちゃ選びは、きっと暮らしに彩を添えてくれる。
第三に、子どもの遊びに過干渉にならない面倒見の悪いおもちゃこそがグッド・トイだと思っている。少々誤解を招く表現であるが、おもちゃが子どもに接近するのではなく、子どもがおもちゃという道具に果敢にアプローチをすることによって楽しさが吹き上げてくるようなものだ。積み木やブロックなどのクリエイティブトイが代表的であるが、子どもの自発的な活動によって、手の運動、指の運動を促すアクティビティトイも有力玩具となる。
これらの乳幼児期のおもちゃに共通していることは、ローテクノロジートイであり、遊びのカロリーが低いということだ。ハイテク玩具はいまや幼児期まで低年齢化してきており、刺激も強い高カロリーのおもちゃであることが多い。
0歳から6歳までの遊びの一流プレやー時代は面倒見がよすぎるハイテク玩具はあまり必要ではない。目や耳に飛び込んでくるような音や映像の過剰刺激の高カロリーおもちゃは、子どもたちを成人病にしてしまうようなものだ。
そして、どんなに一流のおもちゃメーカーが束になってもかなわないおもちゃがある。それは、何といっても草花や土や貝殻などの自然物であり、父親や母親の手や顔や声である。それらが、幼児期の子どもにとって、もっとも贅沢なおもちゃであることも知ってもらいたい。
シンプルで、スタンダードな物で、楽しさを創り出すことができる遊びの天才時期は、実はたった6年間しかない。だからこそ、この時代の遊びの天才たちに失礼のないようなおもちゃ選びを私たち大人たちが考えていかなければならない。
高齢者のアクティビティケアとおもちゃ
人生を楽しむ道具であるおもちゃは、決して子どもだけのものではない。おもちゃは実はエイジレストイなのである。高齢者には馴染みがないものでもあるが、シンプルなデザインで美しい色の玩具やゲームは、子どもの遊ぶものという印象をもったり、嫌悪を感じるというよりも、美しいものに自然に手が伸びるという様子が見られる。
高齢者でも手応えを感じるような玩具となると、おのずとデザイン性が求められてくる。残念ながら日本の玩具にはこの視点を満たすものが少なすぎ、その多くを外国のものに頼らざるを得ない。ヨーロッパには、ロングライフで付き合っていく道具として玩具も考えられており、高齢者が正々堂々と手を伸ばして遊べ、毎日の生活の中に位置付けられている道具が豊富だ。
高齢者福祉におけるおもちゃの役割として、次の3原則を唱えたい。
「エイジレストイ」おもちゃイコール子どものといった従来のおもちゃ文化の払拭が求められる。遊び文化の支援者としても、医療・福祉領域の専門家のなかには遊びという手法でおもちゃを活用する機会は少なくない。子どもにも楽しめ、大人にも手ごたえの感じるおもちゃの活用が求められてくる。
「コミュニケーショントイ」高齢者福祉施設の中で入居者や利用者のコミュニケーションは希薄になりがちである。世代間の交流も含め、人間関係が豊かに膨み、人間と人間がもみ合い、もまれ合うためのおもちゃの活用を期待したい。
「ヒーリングトイ」精神的に不安定なお年寄りを抱える高齢者福祉施設や在宅での独居老人が多くなる中、心の安定につながるおもちゃへの期待は大きくなるに違いない。プレイセラピー、トイセラピーなどが、今後、福祉・医療の世界でもおもちゃを活用していくに違いない。
さて、今まで、赤ちゃんから高齢者までのおもちゃについて幅広く触れてきた。人間発達の生活道具として捉え直し、コミュニケーションを豊かにしてくれる生活道具として捉えなおし、遊び心を持った人間とおもちゃがどのような形で出会えるのが大切になってくる。人間とおもちゃが理想的なお見合いをはたし、創造性豊かな遊びを育てる役割を担っていただきたいものだ。